カキモノ

日常の生活や恋の話を書いてます

「着物」

 着物を着るのは、難しく敷居が高い等と誰が言ったのだろうか。
着付けはとても楽しくて、ワク着ワクする動作。帯締めと帯上げの配色を考えたり、襟足が綺麗に見えるように長襦袢の裾をグイっと引っ張ったり。細かい気遣いで、仕上がりが断然違う。そんな端々に、日本人の奥ゆかさを感じ、いとおかしくなる。
 初めて着物を着たのは、アルバムをたどる限り七五三の祝いの席だろう。定番の千歳飴をもち、赤い着物ではにかむアタシ。
 記憶があるのは成人式。姉のお下がりの振袖を着た。当時は今より13㎏程度体重があった。大学に入ったら、目標が無くなりよくあるモラトリアム。毎日ダラダラゴロゴロ、食っちゃ寝したかと思うと覚え始めたお酒なんかも飲み始め、それまでは太ったことすら無かった体がむくむくと音をたてて膨らんでいった。元々痩せ型の自分は自分が太るという初めての体験に戸惑い、どうして良いのかわからなかった。指まで太る。こんなことってあるんだろうか・・・。当然、友達にも会いたくない。成人式なんか行きたくない。こんな姿を世に晒す位なら、さっさとあの世に行きたいものだ。真剣に考える。でも、成人式に行きたくないと両親に告げると、これくらい丸くなったくらいで気にするな、とのこと。成人式は地元だから、中学までの友人しかいない。また、この行事は父の職場である町役場の主催だから、自分が出ないと父親も困るのではないかとも考えた。父は無口で優しい人だから、何も言わずに悲しい顔をするだけ。父さんはいつもそう。特にアタシが一度高専を中退したのを勝手に手続きし、それについてアタシがなじったことがある。それからは特にそう。何も言わない。姉さんの旦那さんは、お義父さんはいつも黙っていて卑怯だ、という。アタシはそうは思わない。父さんは本当に争いを好まないのだ。余計な事を言い、何かに巻き込まれるのを避けている。瀬戸君(姉の旦那さん)から言わせると、それが卑怯ってもんだよ。となるらしいが、アタシにはさっぱりわからない。
「瀬戸君は理論派でいつも自分が正しいと思ってる人だから、そう思うんじゃない?」
アタシは相手に嫌われるとかあんまり考えないで、ハッキリ物を言う。現代風に言うと空気が読めないようだが。
「チカちゃんほど、自分が正しいとは思ってないけどね」
嫌味。瀬戸君は頭の回転が良い。打算的。姉さんと結婚したのも、働き者で資格もあって食うには困らない職業。余計なことを言わず、良き母になり、自分の得になると考えて、大学院時代にプロポーズ。卒業早々結婚してつかまえた、とアタシは思ってる。
アタシは姉さんが幸せなら良い。お陰で可愛い姪と甥がいる。これだけで、かなり瀬戸君の存在価値はある。だから、彼を嫌いとか好きとか考えた事はない。そんなことは考えるだけ無駄だから。友達にはならないタイプとしか言えない。ただ、喫煙者であることは、評価する。
 丸々としたほっぺたで振袖を着たアタシはそう悪くはなかったようだ。町民会館で町役場が主催する成人式。入りなおした普通校は隣町だったからほとんどの友人が中学卒業以来の再開。だからこれくらい太っても、あんまりわからないのだろう。そう思うと気が楽になった。自分が高校をだぶってるコンプレックスは、大学に入り浪人してた人が沢山いることがわかったから、ほとんど無くなった。何か聞かれて、差支えない相手なら浪人してたと言えば年上なのは気にされない。でも、高校中退となると、突然好奇の目にさらされる。普通じゃない。面倒だ。アタシに入ろうとするのは勘弁して欲しい。あの年頃の人間は本当に残酷だ。自分の興味だけで、どんどん人に入り込んでこようとする。そして、自分の求める回答を欲しがる。違った回答が来ると勝手に落胆し、去っていく。
狭い町だったから、ちいちゃい女の子が中学を出て理系の学校に行き下宿するなんて事は前代未聞だった。だから、当然その後の事も皆知っている。成人式でもやはり好奇の目。残酷。遠巻きにアタシを好奇の目で見るかつての友人。でも、そんな事を気にしていたら生きていけない。だから、そういうことはシャットアウトする術でクリアする。見ざる、聞かざる、言わざる。
成人式は、町長さんの祝辞や日本酒のふるまい等で淡々と進む。二次会はそのあと。もちろん行かない。あの振袖は、あまり好きじゃない。成人式を思い出すし、パステルカラーが何色もほどこされていて、昔の馬車???のような刺繍も好ましくない。でも、わざわざ新調していく価値のある式だとは、はなから思っていなかったから特に文句も出なかった。うちは裕福では無いからお下がりで充分。一回しか着ないものにわざわざお金を使わせることはない。髪型はロングのつけ毛を一本にし、片っぽに垂らして顔の丸いのを回避しようとしたが、あまり効果は無かった。しかし、この時の写真は町の写真館のショーウィンドーに長いこと飾られ、晒し者になった。自分が思うほど丸くないのかな・・。と考えた。とにかく、この着物には良い思い出はない。
次に思い出すのは、お茶を習っていたときの着物。ピンクのかすりでこれは気に入っていた。しかし、ほとんど記憶がないので割愛する。
あさぎ色の着物は、姉さんの結婚式で着た。これはとても気に入っていた。今は実家にあるのだろうか。妹は黒の振袖を着て、余興で二人で歌を歌い、姉さんが喜んでくれた。これは良い思い出。当時はおばあちゃんも元気で、ニコニコと見守ってくれていた。今はおばあちゃんはまだらボケがひどくなり、おじさんも手に負えなくなり、施設に入っている。帰省して会いに行くと、腰が90度曲がってるだけで全くぼけていない。だから、今でもおじさんに包丁をふりかざした話は信じられない。
着物は通常は特別な時に着るものだから、1着1着思い出がある。
最近着たのは、仕事だった。浅草の釜飯屋で働いていた時。着物を着れるようになりたくて、選んだ仕事。女将さんの着物は何百枚もあるそうでその中から、たっぷり店に持ってきて似合うのを選んでくれる。当時は10枚程貸与され、帯や帯留めも選び放題。制服で毎日お洒落が出来るなんて贅沢な毎日だった。職場の人は選ぶのが面倒と毎日同じ着物を着ていた。アタシはいつも早く行って、ファッションショーを繰り広げていた。毎日とっかえひっかえ着物を着てると、女将さんに「あなたは、着物が好きよねえ」と笑われた。
彼女の糠漬けは絶品だ。この女将さんは創業者である初代女将の妹さん。初代女将の息子が今の社長である。温厚な人当りの良い、特別に苦労をせずに歩んできた匂いのする紳士。昔、老舗の蕎麦屋で働いたことがあるが、ここの社長も同じ匂い。叩き上げには感じられない、品と坊ちゃん臭いのが老舗の社長だと思っている。浅草で働くと、浅草の名店の店主やご近所さんがお馴染みさんとしてやってくる。老舗の天ぷら屋の若旦那もよく来てたが、やはり同じ匂い。皆そろって羽振りがよく、決まってチップを置いていく。チップは朝の珈琲代となり、MACへの買い出しは自分の仕事。着物でMAC。最初は変な感じがしたが、慣れるもので、昼休憩に着物で吉野家にも行く。隣の外人さんが不思議そうに見るが、浅草では普通だからなんとも思わない。生き進むと、気にならない事が増える。特に東京は良い。色んな人がいるから、こんなアタシがいてもいい、と思わせてくれる。皆周りの事など気にしちゃいない。それは、自分に一生懸命だからだろう。自分を大事にしているのだろう。そういう考えはとても好ましい。気にしていたら、空き缶を拾ったり、歩道橋に布団をしいて寝たりなどできないし。究極だが。
 着物について、もう少し書きすすめたい。
次はどんな着物を着るか。
母方の祖母は農家の傍らに、着物の卸売りをしていた。その流れで母は着物の講師をしていた。祖母は孫たちに、反物を沢山準備していた。何かあれば、それを仕立てるのだ。実家にはすでに仕立てあがった自分の着物が数着ある。それを、自分の家に送ってもらうことになっている。それらが来たら、また着物を着てみよう。
銀ブラするのも良いだろう。もう少し涼しくなったら。